津軽国定公園十二湖「青池」
史跡をたずねて

 


 深浦には、無言のうちに文化・歴史を私たちに語りかける史跡が数多くあります。
 鎌倉時代から戦国期にわたる戦乱の世を今に伝える大切な歴史遺産である板碑(石造の供養塔)や北前船による日本海交易の繁栄を偲ばせる港の一本杭、当時の深浦の文化の高さを今に伝える芭蕉塚など、この地に生きた人々の息づきが聞こえてくるようです。
  ●港の一本杭
帆船時代に北前船による日本海交易が盛んであった頃、港に出入りする船が安全のため利用した岩浜に打たれた重要な棒杭です。北前船は一番杭で帆を降ろし、二番杭、三番杭と順次綱を掛け替えながら入港しました。
  ●北金ヶ沢の古碑群
南北朝時代の供養碑22基で、北金ケ沢地域から出土したものを集め、薬師堂の境内に安置されています。紀年の明確なものは文和2年(1353年)から康安元年(1389)の8基となっています。
  ●御仮屋(無為館)跡
寛永12年(1635)奉行所が設置されましたが、後に津軽藩主逗留の際の仮の館となったことからこの名がつきました。九代藩主寧親(やすちか)がこの地を気に入り、自筆の「無為」の額を掲げさせたところから無為館とも呼ばれていました。
  ●元城
中世から戦国期にかけての山城跡で、周囲三方が急崖に囲まれた海岸段丘に立地しています。南側の丘陵には幅45mの5重の空堀が、今なおその姿を残しています。また周辺から、中国産の青磁・白磁、瀬戸焼、越前焼の陶磁器が採集されています。
  ●日和見山(後志見山)
斉明帝4年(658)舟師180艘を率いた安倍比羅夫がこの山の上から遥か海上を睨みながら蝦夷平定の作戦を練ったといわれています。また、日本海交易が盛んな頃には船頭たちがこの山に登り航海の日和を判じたといわれています。
  ●宝泉寺の千鳥塚(芭蕉塚)
明和4年(1767)深浦の俳人竹越里圭らによって建てられたもので、碑右側に「闇の夜や巣を満堂はして啼千鳥」と刻んであることから千鳥塚と称し、津軽地方最古の翁塚であるといわれています。西海岸は早くから風流の士を輩出しており、当時の深浦の文化水準の高さを物語っています。
  ●関の古碑群
暦応3年(1340)から応永8年(1401)の時代の42基の供養塔で、南北朝争乱最中の遺跡として重要なものであり、安藤氏の勢力や折曽の関の繁栄を偲ばせ、関の甕杉のかたわらに安置されています。
  ●北金ヶ沢の追分碑
藩政時代に主要道路の分岐点に建てられた道標であり、旧街道から千畳敷に降りる道路の分岐点に建っています。天保14年(1743)に金井ヶ沢村の庄屋により建てられたもので、「追分、右大戸瀬、左深浦通」と彫られています。
  ●菊池刑部の墓
菊池刑部の墓碑は、岩崎下地区竜王寺の境内にあります。菊池氏は、津軽為信の統一事業に協力し、岩崎関所番に任ぜられました。菊池氏は津軽藩の中堅家士として任え、石高は百石でした。この墓碑は、11代の子孫菊池新太郎が深浦町奉行として赴任した際に、先祖を顕彰して建てたものです。
  ●カラスザンショウの林
松神地区の神社境内に群落する暖地系植物です。当地ではきわめて珍しく貴重なことから、昭和51年に旧岩崎村文化財に指定されています。
  ●大間越関所跡(福寿草公園)
町の花“福寿草”が植えられています。3月下旬ともなると黄金色の花が春をつげます。
  ●賽の河原
森山海岸ガンガラ穴の上、日本海を一望できる場所に、海岸地帯では非常に珍い「賽の河原」があります。毎年8月23日、24日の両日は、大祭が催され、全国各地から、たくさんの慰霊者が訪れます。
  ●茶右衛門館跡
その昔、「茶右衛門館」もしくは「森山館」と呼ばれました。文明5年(1470)森山館として名が出てくるのがこの地の始まりと思われ、その後小野茶右衡門が慶長14年に弘前藩主信牧により滅ぼされたとあります。この小野茶右衛門が鬼勘解由の異名を取る程の荒武者であったと言われ、悲運のこもった森山の物語の場所として知られています。
  ●ガンガラ穴
森山崎の絶壁にぽっかり空いた海蝕洞で、小船での探勝が楽しめます。洞穴の中は奥行き約50m、水面からの高さ10mほどでコウモリが群れをなして生息しています。入口付近に広がるコバルトブルーの水面が印象的。日本海の彼方に沈んで行く夕陽を眺めるにも絶好の景勝です。

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