津軽国定公園十二湖「青池」
深浦町の歴史

歴史


■深浦町歴史民俗資料館
■史跡をたずねて

【町名の由来】

 深浦町は海岸美を誇る景勝地であるばかりでなく、その歴史は古く、縄文時代の遺跡が数多く発見され、数千年の昔から人々がこの地で生活していたことがうかがわれます。そして、茫々1,000年の夢を秘めた史跡に富み、ロマンと伝説の多い港町です。

 深浦発祥の歴史は定かではありませんが、深浦が記録上に現われたのは、今からおよそ1,300年の昔、神皇第三十七代斉明天皇四年のことで、「日本書記」には阿部比羅夫将軍が蝦夷討征をして帰順した蝦夷たちを有馬の浜(吾妻の浜)に招いて大響宴を催したと記されています。

 その昔、深浦町は安東浦といい、次いで海浦となり、後に深浦になったと伝えられています。

 そして、大正十五年深浦村が町制を施行、現在の深浦町は昭和三十年、深浦町と大戸瀬村の一町一村が合併して誕生。

 平成17年には隣の岩崎村と合併し、新深浦町が誕生しました。

 旧岩崎村は青森県の西南部に位置し、秋田県との境にある南北に細長い地勢です。白神山地と日本海に囲まれ、十二湖や十二湖を代表する青池など、魅力的で自然豊かな土地です。

 

深浦町のあゆみ

西暦 元号 事項
658~660 斉明4~6
鎌倉時代
阿倍比羅夫の蝦夷征伐。渡島蝦夷と饗応した「有間浜」は吾妻浜だといわれる。
「西浜」と称される。十三の安東氏が蝦夷管領として活躍する。室町時代まで安東氏の要港として十三湊とともに賑わう。
若狭・越前と海運によって結ばれ京文化流入さる。
1322 元亨2 安東一族内紛。折曽関の亀杉の古碑はその名残りである。
1453 亨徳2 「深浦」の名が文書に初めてみえる。
1600 慶長5 8月関ヶ原合戦の時、援兵800深浦湊に集結する。
1603 慶長8 岩崎地区は隣国秋田佐竹氏と領地交渉により、正式に津軽藩の所領となり南端の大間越には関番所が置かれた。
1627 寛永4 奉行所設置。津軽の要港として重きをなす。
1665 寛文5 深浦・金井ヶ沢・大間越の沖横目へ役銭の徴収を指示。
1669 寛文9 深浦に燈明設置の幕命くだる。
1792 寛政4 午後2時頃大地震発生。この時千畳敷隆起する。
1807 文化4 異国船見える。月屋崎に遠見番所設置。
1889 明治22 関・北金ヶ沢・柳田・田野沢・岩坂風合瀬・驫木の7ヵ村をもって大戸瀬村となる。深浦・横磯・月屋・舮作・広戸・追良瀬の6ヵ村をもって深浦村となる。
沢辺村・久田村・正道尻村・森山村・松神村・黒崎村・大間越村をもって岩崎村となる。
1926 大正15 深浦町制施行
1936 昭和11 国鉄五能線、岩崎~深浦間開通により全線開通
1953 昭和28 十二湖公園が「深浦・十二湖県立自然公園」の指定を受ける
1955 昭和30 7月深浦町と大戸瀬村合併 深浦町を称する。
1973 昭和48 国道101号、森山トンネル開通
1974 昭和49 国道101号のうち岩崎・深浦間の海岸道路及び大間越地区から秋田県境までの拡幅と完全舗装が実現した。
1973 昭和48 弘西林道着工以来、11年目で開通(岩崎村~弘前市間60.5キロメートル)
1975 昭和50 十二湖県立自然公園が、津軽国定公園に指定される
1981 昭和56 弘西林道、県道岩崎・西目屋・弘前線に昇格
1983 昭和58 日本海中部地震発生
1990 平成2 「津軽岩木リゾート構想」が国土庁から承認され「十二湖メルヘンの国」としてリゾート地域に指定される
1993 平成5 世界自然遺産に白神山地が登録される
2005 平成17 3月31日深浦町と岩崎村合併 新深浦町が誕生。

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