津軽国定公園十二湖「青池」
神明宮
 ●神明宮

 ○祭 神    
    天照大日霎命(あまのてるおおひるめのみこと)
    伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冊命(いざなみのみこと)  合祀

 ○由来及び沿革  
    寛永11年(1634)津軽二代藩主信牧が海上航行の安全と国中安泰祈願のため、吾妻館に
   勧請。元禄11年(1698)吾妻館の宮、遠きにつき、中沢の熊野宮のある現在地に遷座。その
   とき、津軽四代藩主信政が鳥居と石橋を寄進した。
    当時、本殿6尺4面、神楽殿2間4面あったと記されている。
    その後、村中にて再建。明治5年(1872)には、本殿9尺・2間、拝殿8間・5間(現在と同じ)
   祭日5月16日とある。この拝殿が翌6年深浦小学校として開校された。旧社格郷社(郷社は氏
   子戸数千戸以上、追良瀬から大間越まで)
    しかし、木庭袋家霊社記によると「もともと社家社人にあらず、一群の主にして・・・」その他の
   史料から、文亀二年(1502~1520)先祖葛西木庭袋伊予守頼清深浦へ来り、東妻城を築
   き、後に南郡平賀の大光寺城主となり、天文(1533)南部高信に攻められ、壮烈な戦死を遂
   げている。この人は実在の人物であったらしく、深浦円覚寺内薬師覆堂(重要文化財指定)を
   永正15年(1518)再建の棟札があることによってもわかる。
    永禄、元亀、天正年間(1558~)にかけて、頼清の子か孫か、木庭袋伊勢守信清、信義、
   千葉氏に攻められ、吾妻館、深浦城共に落城して没落、社家となる。当時頼清のときから木庭
   袋家の内神である御伊勢堂(神明宮)を吾妻館に建立す。とあるから、1500年代から祠はあ
   ったものと推定される。5代(社家として初代)木庭袋若宮大夫平信貞、慶長18年(1613)中
   沢にある熊野宮一宇建立社司となる。
    だから、寛永11年(1634)勧請は6代(二代)木庭袋時大夫の時代に、信牧が再建、8代
   (4代)木庭袋明宮大夫の頃(元禄)信政によって、現在地に奉遷し、熊野宮を合祀して現在の
   神明宮になったものと思われる。 (深浦町史より)


 

親しみを込めて神明様とよんでいる

神明様への途中にあるトヨの水。
昭和61年青森県「わたしたちの
名水」に認定
 

ページトップへ

このページに関する情報
このページに関するお問合せ
深浦町
〒038-2324
青森県西津軽郡深浦町大字深浦字苗代沢84-2
電話:0173-74-2111
FAX:0173-74-4415
メールでのお問い合わせ